【株式会社アソウ・ヒューマニーセンター】パラアスリートと共に働く選択肢 ”シーズアスリート”『九州・沖縄の取組み事例vol.11』
CASEダイバーシティパラリンピック働き方多様性福岡市福岡県障害者雇用
- SHARE
目次
2021年12月、厚生労働省は障害者雇用状況の集計結果を公表しました。現在、障害をもって就業している人の数は約60万人。これは集計以来過去最高の数値です。昨年は東京パラリンピックが行われ、障害をもちながら社会で活躍し、共に生きていく姿が身近になりました。ひと昔前に比べると、“多様性”といった言葉が浸透し、「障害者」と「雇用」が近づいたようにも思えます。今回は、障害者雇用の新しい選択肢として、「アスリート兼会社員」を企業とマッチングさせる、「シーズアスリート」という団体にお話を伺ってきました。お話を聞かせて頂いたのは、パラリンピック種目、ゴールボールで日本代表選手の指導を行っている工藤力也さんと、今年3月に現役を引退した元金メダリストの浦田理恵さんです。
シーズアスリートとは。パラアスリートを雇用する意味。
シーズアスリートは、2005年に株式会社アソウ・ヒューマニーセンター内で発足した団体で、パラリンピック出場を目標とし、仕事と競技の両立を目指すパラアスリートへの環境提供、人材育成、社会貢献を目的とした組織です。選手達の遠征費や活動費はシーズアスリートの活動に賛同してくださる企業、個人会員様の会費で充当するというご支援のもと、「特別法人会員」ではアスリートとして活躍している選手を、企業へ紹介し、選手は直接企業と雇用契約を結びます。同時に、シーズアスリートへの出向契約を結ぶことで、選手は職業として、「アスリート」と「会社員」の二つの柱を持つこととなります。車いすテニスの川野選手を例にすると、午前は出社し広報業務や部署運営に関する業務などを行い、午後から練習を行います。海外遠征などの大会を控えた時期は、「競技」と「仕事」の割合は変わりますが、どちらも働いていることには変わりありません。
「一見すると、障害者雇用ってなんだか義務的ですが、多様性や共存共栄という考えが少しずつ広まってきた中で、障害者と共に働くことが、社員満足度にもつながってきているように思います」と工藤さんは語ります。アスリートとして過ごしている時間は業務にはならないと思いがちですが、むしろその逆。選手は業務(仕事)と同じように結果を出すために必死に直向きに自らの限界に挑戦している。自社の社員が東京パラリンピックに出て活躍していたとしたら、これまで興味のなかった社員だって、きっと部署を飛び越えて一つになって盛大に盛り上がることでしょう。
頑張る人を身近に感じて応援することは、自分自身の意欲向上にもつながります。社員全体の満足度を底上げするという意味でも、パラアスリートを雇用する選択は、新しい一手となり得るのではないでしょうか。
設立の背景と日本におけるパラスポーツの課題
シーズアスリートが設立された背景には、実は日本のパラスポーツの課題が大きく関わっています。約15年以上前、当時のパラスポーツ界においてアスリートを職業とみなすような概念はまだ全く浸透していませんでした。シーズアスリートの設立に深く関わることとなるゴールボールの小宮正江選手は、2004年アテネパラリンピックで銅メダルを獲得しましたが、当時、ヘルスキーパー業務を行ったあとの余暇時間を使って、トレーニングを積んでいたのです。フルタイムで仕事をし、アフターファイブと土日で練習や大会遠征を行う生活では、“銅メダルは取れたとしても金メダルには届かない”と考え、多くの企業に人材を派遣するアソウ・ヒューマニーセンターを訪れました。
小宮選手ひとりなら、アソウ・ヒューマニーセンターが直接雇用すればいいのだけど、それで解決という話ではありませんでした。たくさんの選手が実は同じ悩みを抱えていたんです。仕事と競技の間で葛藤しながら、不十分な環境の中で自身の目標に届かず悔しい想いをしている現状を知って、日本のパラスポーツ界の課題だと感じたアソウ・ヒューマニーセンターの代表である中島彰彦社長は、国のサポート環境が整っていないなら、いっそ自分たちで仕組み作りを一から行ってしまおう。そうして2005年にシーズアスリートは設立されました。たくさんの企業から少しずつ支援金を頂き、運営費や選手の人件費などに充てながら成長を重ねています。
シーズアスリートだから成り立つ、「デュアル」な働き方
「アスリート」と「会社員」のデュアルキャリアによる働き方は、人材会社であるアソウ・ヒューマニーセンターの理念に大きく則ったものです。というのも、アスリートは現役を引退したあと、セカンドキャリアの問題に直面します。健常者のアスリートでさえ直面する大きな問題であり、障害をもって生きる上ではより深刻なもの。シーズアスリートは、アスリート兼会社員という両立性を現役時代から意識付けています。選手はよりスムーズにセカンドキャリアを築き上げることができ、アスリートとしてだけでなく、人生そのものの設計図を描くことができるのです。
工藤さんは、シーズアスリートについて、このように語ってくれました。「選手であろうと、社会人であろうと、ゴールは変わらず一つです。それは社会に貢献すること。人の役に立つこと。やり方が違うだけなんです。現役中からその両面を見ていれば、現役を終えた後でも働き方を理解していたり、自分のミッションを見失わずにいられる。これがシーズアスリートの在り方です。」
ゴールボール金メダリスト:浦田理恵選手が語る、デュアルキャリアの必要性
浦田さんは20歳を過ぎて網膜色素変性症の診断がくだり、26歳からゴールボールを始めました。当時はヘルスキーパーとして企業に一般雇用され、業務時間外に練習時間を設ける生活でした。先の小宮さんと同じく、やはり世界で勝つには環境が足りないと思っていた矢先、シーズアスリートから声がかかり、仕事と競技、セカンドキャリアを見据えた両立性に惹かれ、所属することを決めたそうです。
「皆が世界一を目指している中で、最後に残るベスト8なんて肉体面や技術面においてはさほど変わりません。では最後の勝負、一瞬の差って何だと思いますか?私は、応援してくれた人への感謝の気持ちだと思います。どれだけ多くの人を、その一瞬で思い描くことができるかなんです。」と浦田さんは語ります。シーズアスリートに所属することで、雇用先の企業だけでなく、団体理念に賛同したすべての企業が浦田さんの後ろ盾となっています。多くの方の応援に応え、ロンドンパラリンピックでは金メダルを、東京パラリンピックでは銅メダルの功績を残されました。
そんなトップアスリートの浦田さんがなぜ競技一本でなく、あえて「デュアルキャリア」という道を選んだのか、デュアルでしか学べないことについて次のように語っていただきました。
「ゴールボールで金メダルを取りたいという、更に深いところに、人に喜んでもらいたい期待に応えたいという気持ちがあります。それって実はビジネスもスポーツも同じ。スポーツで課題だと思って解決した経験はビジネスでも生かすことができるし、ビジネスで課題だったことはスポーツでも生かすことができる。その相乗効果が大きいです。引退後のセカンドキャリアを考えていく中で、今までやってきたスポーツとビジネスの両側面が、人としての成長を促してくれる結果に繋がっていて、自信になるんです」デュアルキャリアという働き方は、近年スポーツ界において重要視されています。しかし自分自身を多面的に見つめ、人生全体をより豊かにするという意味では、アスリートだけでなく全ての業種、障害の有無問わずすべての働く人において、導入の余地があるのではないでしょうか。
障害を持ちながら働くということ
どのような人でも頑張っている人が身近にいると、少し背筋が伸びます。今回は、障害者雇用の新しい未来として、障害を持ちながらパラアスリートとして仕事と競技の両立を図る働き方を提案するシーズアスリートをご紹介しました。これまで、障害者雇用をしたことのない企業にとっては新しい選択肢になるかもしれません。最終的には、法律でいうところの「障害者雇用率」に縛られるのではなく、企業全体の成長につなげるための方法として、障害者雇用がもっとポジティブな言葉として捉えられる未来を祈っています。